大学時代から今までにあったこと 地獄編

昨日の記事では「大学を卒業してから」としましたが、そもそも大学時代から原因があるのでそこから書いていきます。長くなるので2パートに分けています。

 

 

大学時代〜卒業まで

大学は実家より少し離れたところを選択し、浪人はせずに進学。3年生の3月、つまり2019年3月から就活を始めるものの、内定が貰えませんでした

応募した会社は合わせて30社くらいでしたが、最高成績が1次面接までだったんですよね。内定までの段階は次のようなパターンが多いです。

書類応募→書類選考(適性検査も含む)→1次面接→2次面接→内定

もちろん1度の面接で決まる会社もありましたし、1次としてグループディスカッションがある会社もありました。…なんですが、僕は書類選考で落ち、適性検査で落ち、面接でも落ちまくって、2次面接まで進んだことが1度もなかったですね。

 

なぜこんなに頑張っているのに内定が貰えなかったのか。それは「大学の就職支援センターを利用しなかった」ことが原因でした。

やっぱり、就活は自分で考えるだけではダメなんですよね。他人から見てあなたはここがこうなんですよ、だからこうしていきましょう、という意見が必要になってきます。そうして改善していくことで、出来なかったことが出来るようになる。そして回数を重ねることで、より良いものになっていく。

就職支援センターでは専用のスタッフがいるので、エントリーシートや模擬面接に関してはかなり踏み込んだところまでアドバイスをしてくれます。もしこの時にきちんとやっていれば、新卒1年目からそれなりの会社でバリバリ働いていたかもしれませんね。

 

で、僕はというと。当時利用していたマイナビリクナビで「あ、この会社良さそうだな」と思った会社にエントリーしては落ちるを繰り返していました。緊張して質問に答えられなかった会社は当然ダメ、面接官の反応から手応えがあってこれはいけただろう!と思った会社もダメ。そんな調子で年が明けても内定は0でした。

そんな中、2020年1月下旬のこと。ここまで来ると今回もダメなんだろうな、という気持ちで面接に挑んだところ、受けた会社から内定の報告が来ました。

内定の報告が来ました。

この時は涙が出て、ガッツポーズを何度もして、「ありがとう。本当にありがとう」を10回くらい言って、近くのコンビニで1000円分くらいの食事を買ってそれを一気に全部食べました。それくらい嬉しかったんですよ。

 

ちなみに卒業論文はきちんと進めていたので、論文の提出も発表も問題なく進み、単位も貰えたので大学は無事に卒業できました。

 

大学卒業後〜退職まで

内定を貰ったはいいのですが、よく考えるとおかしな部分がいくつかありました。

  • 面接が1回しかなく、15分ほどで終わったこと
  • 面接を受けた数時間後に内定のメールが来たこと
  • そのメールには2月〜3月に内定者研修があるので参加すること

もちろんこれらの条件で内定を出す会社は他にもたくさんあるでしょう。でも大抵ブラック企業の特徴なんですよね、こういうのは。その時は内定を貰えたことで頭がいっぱいだったので、そのまま会社の近くに引っ越しました。

 

そのまま研修がスタートしましたが、この時点でもうおかしかったです。9時開始なのに15分前に来るのは当たり前とか、見た目がヤンキーっぽい先輩とか、挨拶の練習として何度も大きな声で「おはようございます!!!」「ありがとうございました!!!」と言うとか。

研修の最終日には「それじゃあ早速4月1日から仕事してもらうから、よろしく。資料渡すから勉強しといてね」という言葉で終わりました。

 

そして4月になり、勤務がスタートします。まだ研修の時の方がマシと思えるほどおかしな形態でした。具体的には

  • 1週間ごとに勤務の場所が変わる。隣の県になることもあれば、離れた県になることもある。当然ホテル生活が続く
  • 土日は休めず、平日の2日間を休みにする。イベントなどで1日しか休みがない週もある
  • 1日ごとにノルマを出して、達成できなかったら上司からキツい言葉を浴びせられる

など。そしてこんな勤務形態なのに手取りは15万でした。残業はほとんどなく、職場はホテルの近くだったので通勤時間もそれほどかからなかったという、その2つだけがメリットでした。

「こんな感じでずっと働くの?マジやばくね??」

そう感じた僕は退職届を提出します。このブログにもそのことを書いていますね。

こうして、研修期間を含め1ヶ月ちょっとで最初の職場を離れることになりました。

 

退職後〜実家に帰るまで

当然次の就職先なんて決まっていないので、ニート生活へと突入です。

貯金はそこそこあったので、収入がなくても2年くらいなら生活できました。しかし逆に言えば、猶予期間はその2年しかないということ。アルバイトでもすれば良かったのですが、全くやる気が起きずダラダラ過ごしてしまい、あっという間に2021年に。それまで続けていたブログも2020年11月を最後に更新が途絶えます。

危機感を抱いた僕は就職活動を再開しました。この時2021年10月下旬で、残りの猶予は4ヶ月ほどでした。

 

とはいえまた1人でやると失敗するので、ニート・フリーター向けの就職エージェントを調べて登録しました。1つだけではなく、複数登録することで、少しでも内定を貰いやすくする作戦です。

さらにもう1つとして、「自分に合っている職業はどんなものか?」を事前に調査しました。大学の時は上記にもありますが、とにかく良いと思った会社に応募していたんですよね。職種もバラバラ、社員数も数万人〜数千人がいる会社を選ぶパターンが多かった。失敗の原因はそれもあったかもしれません。

こちらも1つだけではなく、いくつかのサイトで分析したところ、「エンジニア系の仕事が向いています」という診断が出ました。パソコンは小さい頃から触っているし、何かを調べたり分析したりするのは得意なので、納得の結果です。エージェントには「エンジニア系の仕事がしたいです」という希望を出し、履歴書作成や模擬面接など、やるべきことはやっておきました。応募数は合わせて30社くらいと、大学の時とほぼ同じくらいの回数をこなしました。

 

しかし、結論から言うと内定を貰えませんでした。

 

当初は僕の希望に応じてエンジニア系の求人を出してくれていました。複数のエージェントに登録しているので、会社名を被らないようにしつつ、スケジュールも調整しながら面接に挑戦。しかし書類選考で落ち、適性検査で落ち、1次面接で落ちる日々が続きました。あれ、この現象は前にも見たぞ…。

次第にエージェントは「職種にこだわってないで、まずは働ける所を見つけた方がいい」と言ってくるようになり、施工管理や建設業、物流など、これまでとは違う職種を出してきました。

その内容がまあ酷いもので、全てというわけではないですが

  • 年間休日が100日未満→土曜日は月に1〜2回休み
  • 全国転勤あり→場所によって勤務時間に差あり
  • 交代勤務で○○日間日勤→××日間夜勤の繰り返し
  • 朝5時〜昼2時までが基本勤務時間→残業あり

などなど、1ヶ月だけ働いた最初の職場がホワイトに見えるほどのやばさ。まるで「ニートなんだからこれくらいの職場でもいいだろう」と言わんばかりに。

数日後、求人を全て辞退しエージェントも退会しました。やりたくない仕事はたとえ就職できたとしても、またすぐに辞めてしまいますからね。

 

そして手持ちのお金と通帳のお金、合わせて10万円を下回った2022年2月下旬。少し前から親と相談して「就職先が決まらなかったら戻ってくる」と決めていた僕は、実家へと帰ることになりました。なお、引っ越し代は親が負担してくれました。

タイトルにある通り地獄のような生活でした。次のパートは「実家に帰ってからブログを再開した現在に至るまで」、何があったのかを書いていきます。